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計画修繕工事祈願供養 – 教会長あいさつ –

本日の修繕工事祈願供養を迎えるにあたって総務部長さんを中心に教務部長さん、支部長さん方がお休みを返上して食器類の片付け作業を率先して行って頂き、青年、壮年さん方には家具等の移動作業をして頂く真心のご奉仕、陰徳を積んで頂き、和になって修繕工事を迎えることができました。

そのことが単に建物がきれいになる事だけではなく、こうして皆さんと共にお役を頂いていることがどんなに幸せなことなのかということを改めて思わせて頂いています。

これまで歴代の教会長さん方のお慈悲を頂き、先輩幹部さん、先輩信者さん方が、この道場の中で開祖さまの教えをもとにして、救われた悦び、時には悩み、苦しみ、涙を流された皆さんの人生が詰まっていらっしゃることを、所どころにあるシミを観ながら感じさせて頂きました。

それだけ多くの方々が、この道場を拠りどころとしてオアシスとして求められてこられた証ではないかと思わせて頂きます。

今回の修繕工事は改修工事ではなく修繕です。傷んだところを修復していく、それを自分の心に置き換えてみたとき、ともすると自分中心の見方で“あの人が一緒ではいやだ”とか“自分はこうしたい”という自分の中の心のくせではないですけれども、そういう心の一つ一つを改めていくことです。

これからご養生があり、仏さまの滅不滅の世界を体解させて頂きますが、十六番にありますように「方便力を以ての故に滅不滅ありと現ず」と、本当に仏さまがふさわしい手段として教会の70周年の節目の中で、私たちを原点に立ち返らせ、仏さまをいつも自分の心の中心に置かせて頂いているのか、仏さまをほっとけで自分中心にしていないのか、ということを改めて自分の心を見つめ直す機会を頂いたと思わせて頂きました。

70周年は大きな節目です。人間としたら、成熟し、酸いも甘いも知り尽くした年代かと思います。ともすると自分の殻に閉じこもってしまったり、なかなか全ての人を受け入れる自分の器も時には排除してしまったりということもあります。

この時を通して、会長先生の総合目標「一人ひとりの心田を耕す佼成会」のごとく、いま自分の心を耕して、自分の心を柔らかくして、どんな方でも受け入れていく、そういう自分に生まれ変わらせて頂く機会として修繕という建物の修復を通しながら、相手の心を受け入れていくことが大事だと思わせて頂きます。

建物はきれいになりましたが、私の心はきたなくなりましたでは申し訳ございませんので、

ぜひこの3ヵ月間の工事期間の中では、地元で信者さんと一対一で向き合っていくことを大事にしていきましょう。

いま大勢の人と密になることができない時期なので、一人ひとりを大事にしていくという目標を決めて、布教をして頂きたいと思います。

さきほど祈願供養をさせて頂いて、改めて歴代の教会長さん方と先輩さん方から育てて頂いた思いをしっかり受け止め、私たちが今度は苗代となって多くの人を育てさせて頂くお役があるという新たな気持ちをもって取り組ませて頂きたいと思います。

教会役員の皆さん方とお役を頂いた青年さん、壮年さんの方々と大事な修繕工事祈願供養のお役をさせて頂いたことに感謝の想いでいっぱいです。

壮年部長さんの決意発表の中で、お手取りを頂いた先輩さんがほんとに善き縁になって頂いたのですね。

開祖さまが菩薩行について「どんな人に出会おうと自分がその人の善い縁となっていこうと心がける事がそのまま菩薩行なんですよ」とお話し頂いています。

いま壮年部長さんという立場で、ほんとに多くの方に寄り添って報恩感謝の行をして頂いていると思わせて頂いております。

ちょうど修繕工事が4月の月、降誕会の月となりました。天上天下唯我独尊のお言葉通り、みんな仏の心を宿っている尊い存在なのです。

部長さんからいのちの使い方についてもお話がありましたが、尊い命をいまこのときに最高に使わせて頂く場を頂いているんだなぁと思わせて頂いております。

見える世界はそれぞれありますけれども、一人ひとりが頂いている命に変わりがないわけですので、精いっぱい自分の中にある優しさを多くの方に与えていける人生を皆さんとともに歩ませて頂きたいと思います

修繕工事を受けて、もう一度原点に立ち返らせて頂いて、どれだけの人の思いを頂いていまここにいるかということを、おうちに帰ってからも結構ですので、思い出して名前を書き出すことも大事なことと思わせて頂きました。

多くの人に感謝をさせて頂く人生、それが信仰の原点と教えて頂いています。

工事はただ事故がなくということだけではなく、円滑に円満に終わらせて頂くことの願いをもって、いま修行させて頂くことと思わせて頂きました。

本日はお集まりいただき、ありがとうございました。