瀧口壮年部長
私が立正佼成会船橋教会に出始めたのは、高校を卒業して会社に入ったばかりの夏に父が突然亡くなってしまって、寂しい思いをしている時にOさんが1週間と開けずに手取りに来てくれました。とても気さくで温かい人でしたので、なんとなく誘われるままに、教会の集まりに参加したのがきっかけです。
私の父も佼成会でお役をしていましたので、私に佼成会に出てほしい気持ちがあったようで、何一つ親孝行らしいことをしてこなかった私でしたので、父が喜ぶのならという思いもありました。
ご供養をする事も、ご法の勉強をする事も、人の話を聞くことも、とても新鮮に思え、仲間との出会いもとても楽しいもので、いつしか私の生活の一部として佼成会の活動が存在していきました。
私は、父が47歳、母が39歳の時に生を受けました。小学校の時の父兄参観では、友達から「おばあちゃんがきてるのか」とからかわれたりして、何不自由なく育てて頂いた両親に対して感謝どころか、不満を言っていた自分でした。み教えを聞かせて頂き、いのちを頂戴したこと自体が尊いことと学び、切ない思いをさせてしまった両親にお詫びをさせて頂きながら、精いっぱいこの命を人さまのために使わせて頂きたいと思います。
修養道場の時代から、この船橋の敷地に通わせて頂き、様々な方々とご縁を頂き、励まし、支えて頂きながら、み教えの学びを通して、少しずつではありますが、人さまの心配行が出来る自分にならせて頂いたように思います。
これは私だけではなく、多くの信者さんがもれなく、この船橋教会を拠りどころとして、ご本尊さまの御前で涙し、歓喜し、感動し、感激し、そしてしっかり前を見据えて、歩んでいらっしゃいます。
信仰をするということは「ありがたい」と思える事と、教えていただいております。眼の前に出てくる現象は、とかく自分にとって不都合なことの方が多くあります。
平塚教会長さんより、仏さまの存在がわからなくなった時は、現象にとらわれている時ですと、教えていただきました。それぞれの現象を「ありがたい」と思えるよう、心の中の仏さまを常に輝かせていきたいと思います。
そのために、いまの私の目標は「人さまが悦んでいただけるような触れ合い」をするという事です。
この教会が、私たちの拠りどころとなっているように、私自身、たった一人でもよいので「あなたがいてくれてよかった」と思われるような、拠りどころとなる自分づくりをしたいと思います。
以上、私の決意のことばとさせていただきます。