立正佼成会 立正佼成会 船 橋 教 会 船 橋 教 会

2021年10月15日「釈迦牟尼仏ご命日」(布薩の日)

皆さま、お願い致します。

 ご本部の配信に引き続きまして、船橋教会からの配信にご参加頂きまして誠にありがとうございます。今日も外は秋晴れで、気温差はありますが朝目覚めますとなんてさわやかなんだろうと思わせて頂きます。食欲の秋ですが皆さんもおいしくいただいてますでしょうか。今日もデモ配信ということで10月31日の記念式典に向けて、皆さんが配信に親しんでいただくように、操作が間違いなくできるようにと、工夫を凝らして周年のお役の皆さんが携わってくださっています。そのおかげさまで今日もこうして配信を通して皆さんと釈迦牟尼仏ご命日を迎えさせて頂きましたことに心から感謝申し上げます。本当にありがとうございます。

 今日も素晴らしいお説法を拝聴させて頂きました。映像に私の写真をのせていただいてドキッと致しました。今日の茂原教会の斎藤教会長さんのお説法の中にもご紹介頂きましたが、私は台東教会で7年間お役をさせて頂きました。斎藤教会長さんとはそのうちの5年間、ご一緒にさせて頂きました。大病を2度されていて、日ごろお役をされていても体調がどうかなといつも声を掛けさせて頂いておりましたが、5年間一度も今日は体調が悪いのでお休みをしますということがありませんでした。それどころか、お休みの日も「明日○○さんのところに本をお届けしてきます」と、ほとんど休まずに布教に歩かれておりました。先ほど会長先生が、お導きが簡単にできそうな気がしますねとおっしゃっていましたが、いつもバッグの中には佼成の本を入れて歩かれ、十日町の生誕地まつりや、中国に行かれた時なども空港で出会う方や道行く人すべてに声を掛けられる教会長さんでした。お説法の中でお導きの人数のこともおっしゃっていましたが、実際はもっとたくさんされていらっしゃいます。私はかねてから教会長さんの謙虚でひたむきな求道心はどこから来ているのだろうと思っていました。今日お説法を拝聴させて頂き、存じ上げていないこともたくさんありました。どんな時もいただくご指導をひとつひとつ素直に受け止められて、実践に繋げられていく信仰姿勢を学ばせて頂きました。会長先生とお誕生日が一緒と、いつも恥ずかしそうに嬉しそうに伝えて下さいます。実は教会長さんは昭和33年生まれで、立正佼成会が創立されて20年後に真実顕現をされたその年に生まれ合わせたということもただではないなと、しみじみ思わせて頂きました。ご病気を通して、生きるための尊い手術だとすべて前向きに受け止められ、そういう教会長さんから学ばせて頂くことが多々ありました。

 お説法の中に支部長さんの巧みな方便力のお話がありましたが、私はひとつ忘れられないことがあります。この教えが絶対間違っていないと思えない人がいたら、私はまぶたでたくあんを噛んであげるよと。不可能ですよね。まぶたでたくあんは噛めません。それくらい、この教えは間違いないんだよということを教会長さんは随所にお伝えいただいたのだと思いました。また、人さまに施されるその精神も素晴らしいです。茂原教会の各信者さんのお宅で、3年続けて少年部のホームステイの受け入れをして下さいました。実は私の実家が茂原教会で、姉が主任のお役を頂いていますが、「今年も受け入れさせて頂くのよ。何を子どもさんたちにしてあげようかしら」と、子どもさんたちに喜んでいただけるようにと言いながら、自分自身が嬉しくありがたくなっているのです。受け入れをすることで信者さん方が生かされていくのだと、いつも素晴らしいなと拝ませて頂いておりました。今も謙虚に布施行に徹しきる姿は、いつでも変わらずにいらっしゃいます。送り出させていただいた親の立場ではありますが、私のほうが学ばせて頂くことがたくさんございます。同じ支教区にお手配を頂き、そばでよく学ばせて頂きなさいという仏さまからのメッセージだったのだと思わせて頂きます。サンガのありがたさを実感し、一緒に精進をさせて頂きたいという思いでいっぱいです。

 会長先生のご法話を拝聴させて頂きました。10月4日のお話の中で、人間の体の神秘性、宇宙の大生命からいのちを授けていただき、自分のなかにどんな能力、才能があるか、自分でもわからないことがたくさんあると教えて頂きました。今日は仏さまから教えて頂いたことを素直にひとつひとつ実践し深めさせて頂くと、自分の中にある仏さまと同じ心が発揮されるんですよとおっしゃって頂いたように思います。ともすると、無力な自分に落ち込んでみたり、物事が思うようにならないと自分はお役にはふさわしくないのではないかと卑屈になったりします。そういうときこそ自分のいのちの大元、両親を縁としてたくさんのご先祖さまのお徳を頂いて今こうしていのちを授けて頂いているという原点に立ち帰らせて頂く。そうすると、そこには感謝しかないですよね。信仰は感謝が出発点ですよと教えて頂きますが、ひとつひとつのことに感謝させて頂きながら歩ませて頂くことによって自分の中にある素晴らしいものに気付かせて頂けるのだなと思いました。斎藤教会長さんが理不尽な言葉を受けた時、あなたは生かされている、どんなことも大丈夫と仏さまが後押ししてくださっていると、仏さまに愛されている自分を自覚させて頂くためのものだったと気づかれたことも、それまでにたくさんの修行を重ねてお導きをされた功徳が魂まで清めて頂いたのだと思いました。お経文の中に、勤め難きを勤めたまえるに帰依したてまつるとありますように、その方の一生懸命努力されているお姿を拝ませて頂きます。

 会長先生がご自分の生まれた日は20日で二十番常不軽菩薩さまとお母さまから伺ったとおっしゃっていましたが、ひとりひとりの生まれてきている因縁があるということですね。私は10日に生まれましたので法師品なんです。私は信仰に入らせて頂き、目覚めさせて頂いたところが法師品でした。願生と教えて頂き、私にとって信仰は弱い人がやるというイメージから、ずっと実は約束事で自分が願ってこの世に生まれてきた、ということを心底わからせて頂いたのが法師品でした。法師品にふさわしく、私は特に衣座室の三軌を大事にさせて頂いておりますので、柔らかい心で人さまを受け入れられるような自分になっていくということを、今日はもう一度自分の生まれた日の因縁を考えさせて頂けたのだなと思いました。

 今日の会長先生と斎藤教会長さんのお言葉を頂戴して、どんな時にも真剣に学ばせて頂き、人さまと関わらせて頂くことを教えて頂きました。光祥さまも「惜しみなくつながる」とかさねがさねおっしゃって下さいます。斎藤教会長さんがこの人に法を説くのは無理だなどと思わず、どんな人にも平等に法を説き続けていく姿がお導きにつながり、多くの人に喜んで頂ける人になっていかれるのだなと思いました。改めて身近にお師匠さんがいてくださることを私自身がありがたく思い、また私に必要なことであったと思わせて頂きました。

 周年の会長先生のお言葉を先にお分け頂きましたけれども、すでにパンフレットもできておりますので、支部によってはお配り頂いているところもあるかも知れません。お手元に届きましたらもう一度かみしめて頂ければありがたく思います。生き続けている限り求道心を持って歩ませて頂く。明るく、優しく、温かい人になっていくために今私たちはこのご法をいただいていると思います。そして両親がどんな思いでこの世に送り出してくださったか、そのことをもう一度お互い様にかみしめさせて頂きましょう。あと半月となりましたが、この教えは絶対なのだという確信、そしてまた、覚悟を持ってこれからふれる方にこのご法をぜひお伝えいただいて、周年の式典に臨ませて頂ければありがたいと思います。

 そして、皆さんご存知のように衆議院が解散されまして周年式典の同じ日に衆議院選挙がございます。開祖さまが政治と宗教の関わりをご存命のときにずっとおっしゃっていました。私たちの心の幸せは信仰、そしてまた生活の部分では政治、この両輪が調和のとれた形になってはじめて幸せが感じられるということです。大きな私たちの役割として、日本のみならず世界に平和が訪れるように皆さんと共に力を合わせていただければありがたく思います。当日は午後からでも、また期日前投票もありますので、棄権されることのないように皆さんでお声を掛けて頂ければありがたいです。

 10月31日には、おひとりおひとりがこの周年を契機として新たに信仰をいただいている悦び、また使命をお互いさまにかみしめさせて頂ければありがたく思います。たくさんの先輩さん方が築いてくださった船橋教会の70年の歴史の重みをもう一度自分の心の中に落として、仏さま、開祖さま、会長先生、また先輩さん方に恥じない信仰を身に付けさせて頂きたいと思っております。どうぞ皆さまよろしくお願いいたします。本日は誠にありがとうございました。  

合掌