立正佼成会 立正佼成会 船 橋 教 会 船 橋 教 会

2021年10月1日「朔日参り(布薩の日)」

 皆さま、お願い致します。          

 10月1日朔日参り布薩の日、今日は各ご家庭で配信を通してご参加頂いています。   

昨日は台風の影響が心配されておりましたが、おかげさまで今日こうして船橋教会道場でご本部からの配信を視聴させて頂くことができました。10月にはいりまして本来でしたら衣替えの季節ですが、今年は温暖化の影響でしょうか、まだまだ整理もできないままでおります。   

 10月の月を考えてみますと、開祖さま入寂会、日蓮ご上人の遠忌法要、そして31日には船橋教会の発足70周年記念式典が行われる月であります。今朝はありがたいようなドキドキしている自分がありました。貴重な大事な月を皆さんと共に迎えさせて頂きましたことに感謝の思いでいっぱいです。             

 今日はご本部の式典で、松戸教会の中野教会長さんの素晴らしいお説法を拝聴させて頂きました。平成29年に松戸教会にご着任され、私が船橋教会に赴任させて頂いたのと同じ年でした。私は青年の担当教会長でしたので、今日の青年さんとのお悩みのこともよくお話を伺っておりました。今日、すばらしい教会長さんの行法を拝ませて頂きまして、ご努力に涙が出ました。教会長さんは本当に真面目で、いつもご法に真摯に向き合っていらっしゃる方ですので、当時の太田教会にいらっしゃった時もそのような行法をずっと続けていらっしゃったのではと思います。          

 今日は映像の中に皆さんがご存知の方がもうお一方いらっしゃいましたね。役別教育で大会の時にお越し頂いた小巻教会長さん、小巻講師さんが当時の教会長さんということでした。「無理をしなくていいのよ」と、中野教会長さんが一生懸命ご努力されている姿を小巻教会長さんにたたえて頂き、そこから自然体になられ、本来の優しい心をどんどん発揮されて現在の教会長さんがいらっしゃるのだなと思わせて頂きました。お二人ともご縁の深い方でしたので、同じ教会長としてご努力されているその姿に私もとても励みを頂き、またひとつひとつ謙虚に学ばせて頂くという姿勢を教えて頂きました。          

 そして国富理事長さんのありがたいまた温かいご講話を頂戴しました。伺いますと会長先生は佼成病院にご入院されていらっしゃったということですけれども、治療が無事に終わられて4日の入寂会にはお出まし頂けるのだなとありがたく思わせて頂きました。先ほど佼成ニュースで波木井山の式典に参列された会長先生のお姿を拝見し、今日は会長先生にお会いしたかのような気持ちになられたのではないでしょうか。

 理事長さんのご講話で今月の佼成と先ほどの中野教会長さんのお説法とあわせてかみしめを下さり、その中で3つのことをお分け頂きました。最初の仏さまに護られているというお言葉ですが、リーダーは大安心にたっているか否か、ということですね。ともすると何か現象が目の前に起きてくると右往左往して不安な気持ちになってしまったり、どうしようという気持ちもなきにしもあらずですが、いつも仏さまが護ってくださっているのですね。特に病気は病気としてとらえていくということです。

 開祖さまはご病気で胃を三分の二取っても三分の一は丈夫な胃が残っているんだとなかなかそういう発想にはならないですけれども、改めて本当にそうだなと思います。今コロナ禍にあっても信者さん方から大病が発見されましたとご報告を頂いております。病気の告知をされるその時のご家族の思いは計り知れないと思います。でも、大丈夫ですよと、言わせて頂くその瞬間は私も仏さまに護られている世界を表させて頂けたのだなと、思わせて頂きました。ですので、いつでも開祖さまのように大安心の境地でのぞませて頂きたいと思っています。

 また、コロナ禍で家庭での生活が多くありますが、自分が原点に帰るチャンスなのだと、置かれているその場でどう仏さまの教えを実践できる自分になっていかれるかということですね。新たな立正佼成会の布教のあり方を皆さんで作り上げていく、そういう力を今こそ蓄えていく時期なのだと思わせて頂きました。そして善いことを真心込めて繰り返していくということですが、それはサンガの中に入っていくこととお示しくださいました。その中で、私がとても心に響いたことは、その方の悲しみに焦点を当てていくということです。

 先ほどの中野教会長さんが会長先生との懇談会の時のお話をお分けくださいました。ともすると使命感にもえて、こうあらねばならないと叱咤激励してしまう自分がありました。私もそういう経験をたくさんしました。それは幸せになって頂きたいという気持ち、そのあらわれでもあるわけですね。そのことを大事にさせて頂きなさいとおっしゃって頂いたのかなと思わせて頂きました。そのまま相手を認めて受け入れていく会長先生の大きな懐、温かいお心にふれさせて頂きますと、力まなくていいんだ、このままでいいんだと思え、私も力を頂いたことを思い起こしました。いつも耳をすまし、心をすましてお話を聴いて下さる会長先生に少しでも近づいていかれるよう、純粋に目の前の方を受け入れていけるやさしさを身につけさせて頂きたいと思いました。             

 最後に大乗菩薩道のお話をしてくださいました。四法成就の四番目の思いやりの実践ということで、皆さんよりミャンマーへの支援、大勢の方にご協力を頂きました。光祥さまが壮年総会の折、全信者さんに呼びかけてくださり、船橋教会では壮年部長さんが支援募金を皆さんにお声かけくださいました。 信者さん方それぞれにお振込み下さった方もたくさんいらっしゃったと伺っております。あらためて感謝申し上げます。皆さまありがとうございました。今の国際情勢の中ですぐに送金できる状態ではなく、一週間もかけて10,000ドルを届けられたとおっしゃっていましたが、ゆめポッケもそうかと思います。アフガニスタンにもいつもお届けしていますが、今年は少し時間を頂きたいとご連絡を頂いております。必ず現地のお子さんたちに届くよう念じさせて頂いておりますが、絶対大丈夫だと今日確信を頂いたように思いました。皆さんの真心を婦人部長さん、少年部長さん、スタッフの皆さんが一生懸命荷造り、発送までしてくださいました。皆さんの優しい思いやりの心がこうして世界の子どもさん方のお陰様で育ませて頂いている、このことを大事にさせて頂きたいと思います。   

 今日は佼成ニュースがありました。最後の田中さん親子、すばらしい親子の絆を見させて頂きました。好きなお酒をやめなさい、ではなくて、子どもさんがお小遣いを献金されたりジュースやお菓子を我慢したりと、そういうことがお父さんの心を動かすのだなと教えて頂きました。お父さんとは親友みたいですという言葉がとても響きました。心が潤わせて頂いたような思いでおります。   

 今月の佼成をお手元にお持ちでしょうか。12ページ「原点に帰ろう」特に今月70周年の式典を迎えるにあたりまして、どなたにこの教えに繋げて頂いたのか、そして教えを頂いたときはどんな気持ちで実践させて頂いたのか、原点を振り返るにふさわしい会長先生のご指導を頂戴したのではないかと思わせて頂きます。千利休の「稽古とは一より習い十を知り、十よりかえるもとのその一」という道歌から、喉もとすぎれば熱さ忘れるではないですが、最初は先輩さんから教えて頂き教学や法座修行とひとつひとつ自分の身につけて今日までこさせて頂いたのではないかと思います。

 でもどうでしょうか。だんだん慣れてくると最初の気持ちが薄れてきます。ともすると心を忘れてしまう。ご供養でもとにかくあげればいい、という時も私もあります。最初はどんな気持ちであげていたかなと、純粋な気持ちであげていたことをあらためて思わせて頂きます。一番ここで大事なことは会長先生が信仰の本来の目的をお示しくださっていることです。自己を磨くという私たちはいつも魂を磨くということも教えて頂きますが、ともすると、人さまの心田を耕したくなってしまう時があります。そうではなくて、自分自身がいつも謙虚に学んで自らを正していく、その繰り返しによって、自分で教えに照らし合わせていけるようにならせて頂いているのです。そのことをしっかり心にとめながら、わからないことは先輩さんに教えて頂く求道心を忘れずにいましょうと教えて頂いています。

 会長先生が四法成就をやさしく表してくださっています。仏に護られていることを信じて、善いことを繰り返し、信仰の仲間とともに、社会全体の幸福を願って思いやりの実践につとめる、これが仏の道を信じて歩む私たちの基本、原点です。開祖さまが晩年によくおっしゃってくださった「みんな仲良く異体同心で」というお言葉がずっと私の心の中にありまして今でも昨日のことのように思い出させて頂きますが、とても大事なことだなと思います。いつでも仏さまに見守られている自分、そしてサンガの皆さんと一緒に菩薩道を歩ませて頂く、そのことがひいては社会全体を明るくしていく、そのお役が私たち一人ひとりにあるんですよということが全部この四法成就に含まれるのですね。それが開祖さまのお言葉で言えば「みんな仲良く異体同心で」ということと思わせて頂きました。

 道心と童心、日本語って難しいですね。音(おん)は同じでも字が違うんですね。私自身まず感じさせて頂きましたのは恋慕渇仰という言葉です。あたかも人を恋い慕うときのように、相手(法)のことをもっと知りたいと思い、相手とともに歩みたいと願って、それを純粋に求める気持ち、心の中心にいつも仏さまをおかせて頂くことと思わせて頂きました。発心したころの気持ち、仏さまを信じて少しでも近づいていきたいというその童心、幼い子どもがもつような純粋な願いを忘れないで歩ませて頂く、そう受け止めて実践させて頂くと、仏様は善哉、善哉と頭をなでてくださいますよということですね。

 今、支部長さん部長さん方とふれさせて頂いておりますけれども、ご自分のお父さんお母さんの介護をされながら、その中で信者さんの悩み苦しみに寄り添っていらっしゃる、そういうことが仏さまは見放してはいないなって、仏さまの懐の中にそういう人こそかかえているよと普賢菩薩勧発品の中にございました。いつでも仏さまは私たちをご照覧下さっています。それにはまた創意工夫が必要と思いますので、皆さんと智慧を出し合って信者さんが寂しい思いを味わうことのないよう、一人残さず皆さんに喜んでいただけるような式典にさせて頂きたいと思っております。みなさまどうぞよろしくお願い致します。本日は誠にありがとうございました。  

合掌