教会長メッセージ

2021年9月15日「釈迦牟尼仏ご命日」

皆さま

 本日は釈迦牟尼仏ご命日(布薩の日)式典に、ご参加いただきありがとうございます。

 先月の8月1日教会発足記念日に「物故会員の皆さま方への感謝の法要」をユーチューブで配信をさせて頂きましたが、初めての試みでしたので、緊張している自分の姿に笑ってしまいました。いままでに想像できなかった画期的な事がいま船橋教会で行われていることを実感させて頂いております。

 会長先生からは、目の前に誰もいない中でお話しをすることにも慣れてきましたとのお言葉もありましたが、私はまだ慣れていません。

 今回は周年記念実行委員長の壮年部長さんを中心に、司会の木村さん、映像担当の井川さん、教務さんを含め、お役にたずさわって頂いた方々がそれぞれの場で力を発揮していただいたお陰さまで、皆さんに映像を配信することができております。

 コロナウィルスの感染拡大により、信者さん方とお会いできなくなり2年近くが経ちました。自粛が続いて皆さんもお疲れなのではないかと思いますが、この間支部長さん方が会長先生のご法話と教会長のつたない領解を併せて印刷してくださり、信者さん方にお伝えしていただきながら、皆さんとのつながりにご努力下さっていることに、心よりありがたいと思わせて頂いている日々でございます。

 今日は皆さんのお顔は見えませんが、教会長は元気にお役をさせて頂いていることをお分かりいただけたら、ありがたいと思わせて頂きます。

 本日、説法を頂きました深田主幹さんは、数年前に行いました教会の青梅ファミリー練成でお世話になりました青梅練成道場の道場長さんをされております。多くの信者さんの一人ひとりの幸せを願い、安心して青梅の地で修行できる環境づくりを行って頂いております。多くの信者さんが青梅練成で育まれ、生まれ変わらせて頂きました。

 私も青年時代に青梅の地で180度の人生の転換をさせて頂いた一人です。深田道場長さんに改めて感謝の思いでございます。

 お説法を聞かせて頂き、その人その人に相応しい人生を仏さまの教えに沿って歩まれている深田主幹さんの信仰姿勢を学ばせて頂きました。想像もつかない現象を頂いた中で、心の持ち方を法華経によるところの「いまこの三界は皆これ我が有なり」「諸々の患難多し、ただ我一人のみよく救護をなす」といった仏さまの深い深いお慈悲のところを感じられて、落ち着いて対処をされ、問題を解決されたお姿を通して、とかく自分の力で何とかしなくちゃと過信してしまったり、悩まなくてよいことを悩んでしまったりしてしまいがちですが、どんな時にも素直に仏さまの懐に溶け込んで、我のない世界に入らせて頂く信仰のあり方を学ばせて頂きました

 そして奥様とお子様に感謝されていることも印象的でした。地域のなかで奥様と一緒に人さまに喜んで頂くことに貢献されている深田主幹さんに対して、信仰者として理想の姿ですとの会長先生からのお言葉もありました。

 私もお休みの時には近所の方々と共に草取りをさせて頂きながら、お話しが出来る機会を作らせて頂いております。怠らず繰り返し実践することが大切な事と確認させて頂きます。

 会長先生のご法話を拝聴させて頂き、深田主幹さんのお人柄と徳行を大変称えられていらっしゃいました。

 ご法話の中で、私もいつも大事にしているお言葉ですが「人生の専門家は誰一人いない、人生は万人すべてが一列横隊」というお言葉を頂きました。会長先生はいつも私たちの足元までおりてきて下さり、優しく語りかけて下さるお姿に、会長先生が自ら一列横隊の姿勢をお示し下さっていると思わせて頂きます。

 私自身のモットーにしているところは「どこに教会長がいるかわからない」と言われるような存在になりたいと思っ ています。時には庭掃除をしたり、草取りをしたり、皆さんとご一緒に何かを出来ることをうれしいことと思っています。

 また、黒住教の教えを踏まえて「ありがたきの中に面白きとうれしきが含まれている」とのお言葉を頂きました。ありがたいと思っていないとなかなか面白いとか嬉しいといった感情が湧いてこないものです。

 開祖さまはいつも何かが起きてきた時は、いよいよ面白くなってきたとおっしゃっていました。WCRP(世界宗教者平和会議)の中でさまざまな方から意見が出てきた時など、皆さんの考えを全部吸収して受け入れていらっしゃるお師匠さんのお姿を学ばせて頂くと、暗く切なく仕方なくとの思いが、一つ一つ頂いている現象を通して自分を高めて頂いていることと受け止められるとその現象が嬉しく、ありがたいものになってきてご法が面白くなってくるのです。

 月半ばですが、佼成9月号の会長先生のご法話「善い縁を結ぶために」を拝読されていると思いますが、今日のご法話と重なります。全てを善縁として受け止められるか受け止められないかを自分の我で見ていくと、この人がいなければという気持ちやこの事さえ起きなければという気持ちが起きてしまい、ある事すべてに否定的な見方をしてしまいます。

すべてが仏さまのおはからい、お慈悲として受け止められた時に、何事にも良いとか悪いとかの善悪をつけることもなく、この人のお陰様という思いになり、すべての人が生かされていくことにつながると教えて頂いております。

 ポイントとして、縁から何を学ばせて頂くかということです。その学んだことに気づいて、省みていくこと(省心)を心に刻ませていただくことで、すべてのご縁が必要だったと気付けるはずです。

 毎日、顔を合わせるご主人やご家族に対しても、今日も元気に挨拶が出来、そこから一日のはじまりを笑顔で迎えさせていただくと、面白くうれしい一日がスタートできると思わせて頂きます。今朝も、私が出かける時に主人が見送って下さいましたが、その一日のスタートが有難いことと思わせて頂きました。

 そういう一日の始まりから即是道場の通り、いま与えられている場で相手にいやな思いをさせていないか、と自分を省みることができ、明るく元気に切替えていけるよう瞬時になれたことが功徳なのです。

 また「緑のオアシス」とのお言葉を頂きましたが、安心してくつろげる家庭や教会にならせて頂くように、会長先生から初めて「私淑」(わが身を良くしていく)のお言葉を頂きました。沢山のお師匠さんから頂いた「私淑」の気持ちを忘れずに近づかせて頂きたいと思います。

 もうすぐお彼岸を迎えます。命を頂いた大本への感謝をし、ご先祖様に安心して頂けるようこの身を使わせて頂くことが大切です。

 いまは元気に皆さんとお会いできなくとも、つながっていることを実感しています。疲れたり寂しくなったりしたら、「一人ではないんですよ」ということで、一人ひとりのお顔を思い出して頂き、ビタミン愛を注入してエネルギーを蓄えて頂きたいと思います。

 今日は長い時間視聴していただき感謝しております。皆さんはくれぐれも「感染しない、感染させない」をこころがけて、感染対策を万全にして頂きたいと思います。

 また、皆さんにはユーチューブ配信に慣れて頂くことをお願いして、またご命日でお会いできることを楽しみにさせて頂きます。

本日は誠にありがとうございました。                               

合掌