教会長メッセージ

2021年11月1日 「朔日参り」(布薩の日)

 皆さまお願い致します。 

本日は朔日参り布薩の日、配信を通してご参加頂きましてありがとうございます。昨日は船橋教会発足70周年記念式典、皆さま誠にありがとうございました。今日はまだまだ感激も覚めやらない状態ですが、正直とてもほっとしているところです。足掛け3年、一昨年の暮れあたりからでしょうか、実行委員会を設置させて頂きまして予期せぬコロナの感染拡大がございまして、昨年の式典が一年延期になり昨日になりました。約2年余りの間、瀧口実行委員長さんを初め、各支部の実行委員さん方が企画をして下さいましたが、当初の企画内容がかなり変更となりました。そして当日には役員さんのみで信者さん方にはユーチューブ配信を通してのご参加を頂きました。それでも昨日は夜遅くまでたくさんの方から、皆さんがとても喜んでくださって感激いたしましたというありがたいお電話やメールを頂戴致しました。皆さまのお陰様で、70年という大きな節目のときにご縁を頂きお役を頂いていることが本当にありがたく幸せなことと昨日はしみじみ思わせて頂きました。そう思っただけでもまた涙が出そうです。今日は教会に参りましたら、昨日素晴らしい感動のお説法を頂きました髙田支部長さんがすでにお礼参りに来られていました。実は教会も今日からお戒名当番さんが3名体制でスタート致しました。奇しくも今日は当番長さんが鼈宮谷支部長さんでしたので、鼈宮谷支部長さんにもお礼言上申し上げられましたとのことでした。仏さまのおはからいはひとつとしてずれていないと申しますか、お手配ということをしみじみ思わせて頂きました。ひとつひとつがすべてお計らいの中で、私自身も今ここに立たせて頂いていると思わせて頂きました。昨年が本当の70周年でございましたので、功労者の皆さま方にはすでに記念品と感謝状を支部長さんからお届け頂きました。式典の中では八千代第一支部の石垣育男さんに代表して贈呈をさせて頂きました。教会の礎を築いてくださった諸先輩さん、そしてまた共に仏さま開祖さまの教えを信じてご精進された皆さまのご精進の賜物で、昨日もお育て頂いたお一人おひとりが頂いたお役を懸命に尽くされていらっしゃるお姿を見させて頂きまして、こうして連綿と教えが繋がりサンガが和合僧になって、そういう中で一人ひとりが教えによって救われている船橋教会ということをしみじみと思わせて頂きました。ありがとうございます。 

今日は朔日参りで臨ませて頂きましたけれども、今日の佼成病院の須田事務部長さんの体験説法を拝聴させて頂きまして、昨日の親子説法、お母さまの島田さんのお説法ととても重なるところがありました。島田さんもご病気を告知され心身共に大変な状況の中で開祖さまのご著書に惚れ込まれ、教えを実践されて次から次へと妙の世界を随所に現してくださって、修行精進されたそのお姿がご法の証明役として素晴らしいお説法を頂戴いたしました。齋木教区長さんからはひとつひとつわかりやすく島田さん髙田支部長さんのお説法に寄り添って下さるかのようにかみしめを頂きました。教区長さんから、教えによって心境が変わると自分の生き方が変わっていくと信仰の功徳を教えて頂きました。まず一代目であるお母さん、島田さんが築かれた強盛な信念の中で培われたものを、お子さんである髙田支部長さんがそれを受け継がれてどんな言葉も素直に信受されていらっしゃるわけです。今年から支部長さんのお役をお受け頂きまして、約一年たとうとしていますけれども、考えれば考えるほど、非常識な世界を自分自身が申し上げていたんだなと思いました。まだまだ悲しみの癒えない中で、お戒名のお礼言上にお見えになったときに支部長の大役を鼈宮谷支部長さんと共にお願いをさせて頂きました。私は、鼈宮谷支部長さんが、信者さんおひとりおひとりとよく触れられている賜物だなと思わせて頂きました。「教会長さん、このタイミングを逃してはだめですよ」と、一番身近でご覧頂いている支部長さんの深いお慈悲を感じ、お役のお声を掛けさせて頂きました。お子さんがおっしゃっていたように、パパが死ぬのを待っていたんじゃないかと言われてもおかしくない状況です。お子さんの中にも、ママだったら大丈夫よと言ってくださったお子さんもいらっしゃって、それぞれママのことを思う、親子の温かいものをうかがわせて頂きました。一番は遊びたいことが理由だとおっしゃっていましたが、支部長になっても遊べるよと私が申し上げたのには一つ意味がありました。法華経には遊行(ゆぎょう)、人さまに法を説かせて頂く、導かせて頂く、それが遊ぶほど楽しくなっていくのだというくだりがあったと思います。きっと支部長さんが一所懸命お役に携わったときにそういう心境になられたらもうそれが遊ぶ行そのものなのだと思います。今初めて意を明かしました。教区長さんがおっしゃってくださいました、信仰という根っこがあるご両親の素晴らしい生き方を髙田支部長さんがそのまま受け継がれて、誰の中にもある種、それが縁によって引き出されるということ、サンガの素晴らしいご縁にふれられて、支部長さん自身が一歩一歩前進されて、今皆さんに慕われる支部長さんになられているのではないかと思わせて頂きます。昨日もお説法のお役の後には、仕事に行ってきましたと今日報告を頂きましたが、時間の使い方、命の使い方を身近で学ばせて頂いています。 

教区長さんが70年を期してふたつのことをと最後におっしゃっていました。一番目には生活の中での実践、いつも仏さまに手を合わせられるそういう人を大切にしていくんですよとおっしゃって頂きました。そしてふたつめには、人を植える、育てていくということ。人を思いやれるような人を手塩に掛けて育てていく。創立100周年に向けて人を植えるということを会長先生からも根本命題としていただいていますが、自分自身が育てて頂いたように自分が温かい苗代となって次代へつなげていく、そのことが先輩さん方のご恩にお報いすることと昨日の式典の中で齋木教区長さんからお示し頂いたと思います。この70周年に頂いたお言葉は、私たちのこれからの精進につなげさせて頂くことかなと思います。ありがとうございました。 

今日の須田事務部長さんのお説法の中から、会長先生はお父さまとのご縁が懐かしく思い出されましたとずっとお父さまの偉大さ、お徳をたたえてくださいました。命がけで俳句も嗜まれて、どこの教会に行かれてもその都度そこの教会を大事にされて歌を詠まれたとおっしゃっていました。親のお徳ということは、私も、ひたむきにどんなときもご法に徹していた母の後ろ姿があったから自分も迷わずにこの道を歩ませて頂いているのだなと思います。産みの親、育ての親、心から感謝の思いにならせて頂きました。ありがとうございます。 

佼成ニュースがありました。下館教会の素晴らしいインターネットが完備された新道場を拝見しながら、新しいデジタル環境を整えていく、その中で会員さん一軒一軒どのような環境におかれているかと事前に調べられたということでした。船橋教会でも、このたびのコロナ禍の集まれない中で実行委員さんたちが一軒でも多く皆さんに視聴して頂きたいという思いから、支部で何軒環境が整っているかと、オンライン推進委員さんがくまなく歩いて下さり、支部長さんとよく支部の中をまわって頂いたと伺っています。そうした皆さんの真心が結集された周年を頂いていたんだなと今日もしみじみ思わせて頂きました。 

佼成の11月号をお持ち頂いていると思います。11月号は開祖さまの生誕会がございます。口絵からずっとカラーのページですね、歴史的一ページ法燈継承から30年ということでこちらも皆さんお読みになりましたでしょうか。30年目にあたるその年に私たちも周年というお手配をいただいて、継承ということを特に強く心に留めさせて頂きました。 

会長先生が今月ご法話頂きましたところは、なぜ反省が必要なのかと、三部経の最後の仏説観普賢菩薩行法経、懴悔経をお示しくださっています。懴悔は実行ですよと私たちはずっと教えて頂きました。高みをめざすから反省がある、ということですね。安岡正篤師のお言葉があります。 

(12ページ)私たち人間は「少しでも高く、尊く、大いなる存在に向かおうとする本能」をもっていて、そのはたらきによって神仏を仰ぎ、敬う心が生まれるといいます。同時に、人としての高みをめざすがゆえに、自分に至らないところがあると気づいたときには、それを省みて恥じる心が生じると述べています。つまり、反省や懴悔が人間の心を育て、ひいては人類の進歩や向上を支えてきたということです。 

先ほど須田事務部長さんが15年間の喜捨箱の100円ですか、言われなければわかりませんよね、でもそのことも赤裸々に懴悔されて、そのことを仏さまのお慈悲は深いと、ご自分が喜捨箱の担当をするそういう流れをおっしゃっていましたが、至らない自分を恥じる心が懴悔に繋がっていくのだと思わせて頂きますね。それはやはり今の自分よりももっと成長したい、向上したいというあらわれだとここに会長先生がお示しくださっています。 

(13ページ)反省や懴悔は向上を求める前向きな意思のあらわれです。 

ということです。ですから佼成会の法座はいのちと言われますが、公の前で自分をさらしていく、その大切さがここにお示し頂いています。ここは本当に大事だと思いました。 

(14ページ)いつでも反省、懴悔する心が大切で、それが精進と一体になるとき、成長が促されるということです。反省も懴悔も、私たちが理想を求めて生きていることから生じるものです。それはいわば、仏性のはたらきによる向上の証であり、菩薩の証明です。 

ここのところは私も心に留めさせて頂きました。このままでよかったら、反省も懴悔も出てこないのですね。昨日の島田さんのお説法にも、開祖さまのご著書を読んですべて自分の心が苦しみを作っていたのだと気づき、それが精進に繋がっていく、菩薩の行を示してくださったのだなと思わせて頂きました。何度も繰り返しながら、ということです。一回懴悔したからもうこれでいいかと、そうではないのですね。縁が変わったりするとむくむくといろいろな心が生じてきます。私も周年を通していろんな場面がございました。時にはどうしてそういう気持ちになるんだろうと相手が理解できないような状況もありました。

ですが、やはり、(16ページ)観普賢経に、「若し懴悔せんと欲せば 端坐して実相を思え」とあるとおり、反省、懴悔をしたら、あとは自己中心の見方を離れて、日々を一所懸命に暮らすことが大切なのです。 

この「端坐して実相を思え」という実相というところですが、私たちはひとりでは何もできないんですね。この世界は、変化しながら関係している、その中で支え合いながらひとつひとつのことをさせて頂いている、そこに到達していくと、どんなことでもその方が一所懸命やっている、そこを拝ませて頂くことなのだなとしみじみ思わせて頂きました。ですから11月に会長先生が、なぜ、反省が必要なのかと、もっともっと自分が精進していく、自分の魂を磨いていくということです。開祖さま生誕の月に、開祖さまによって素晴らしいサンガに巡り合えて、教えがなかったらどういう人生を歩んでいたのかなと私自身思わせて頂きます。サンガが仏道を歩ませて頂くすべてだと、そのことを周年を通し、また会長先生の今月のご法話を通して学ばせて頂いています。サンガと共に磨き合う、ひとつひとつ教えて頂けるお師匠さんが今目の前にいてくださるのだと、サンガという宝物を頂いていることを肝に銘じて新たな出発をさせて頂きました。少しでも自分自身を正直に見つめられる謙虚さを身につけさせて頂きながら、一日一日成長していける自分にならせて頂きたいと思います。今月一ヶ月間、どうぞよろしくお願い致します。 合掌