会員へのお知らせ

物故会員への感謝の法要

昨年の令和2年、船橋教会は発足七十周年の節目を迎えました。今日に及ぶ歴史は、歴代の教会長様の深いお慈悲と先輩幹部さん、信者さん方の寝食を惜しまぬご尽力、そして「人さまをなんとかお救いしたい」というお慈悲の心によって、築かれてきたものです。                                      七十周年を機として、教会発足の日の8月1日にお亡くなりになられた諸先輩方へ、感謝の想いを込めて真心からの回向供養をさせて頂きました。

説 法:習志野第二支部 脇田和璋

本日は教会発足記念日、物故会員の皆さまへ感謝の法要の意義ある日にお説法のお役を頂き、誠にありがとうございます。

私は、昭和25年、五人兄弟で姉3人、男2人の長男として脇田家に生を受け、72歳になります。

当時は生活も苦しく私たちを育てるために、父も母も朝早く出て、夜遅くまで働いていました。厳格な父に対して反発をし、甘えられない母に対しては何かと困らせる手間のかかる少年時代を過ごしていました。

そのような中でも一つだけ心が休まる時間がありました。それは両親が入会していた佼成会で子供を対象とした教会の催し物に出る時でした。花まつり、子供の日、夏の映画会、お会式の子供纏など、なぜか心地よい気持ちを感じることが出来ました。いつしか声がかかると行事に参加するようになり、昭和53年3月青年女子部で活躍していた憧れの妻と結婚することが出来、人生最高の幸せを感じていた日々を過ごしていました。その年の7月に千葉教区学生部大会が開催されることになり、数百人の動員目標が船橋教会に課せられました。当時学生部長であった私は毎晩懸命に手取りに歩きました。しかし思うように人が集まらず、各支部のリーダーを叱咤するだけでした。仕事を終え手取りをし、そのまま教会で読経する。そのような日々が数日経過した中に、私の信仰姿勢として他力的、批判的、自己中心的な自分があったことに気づくことが出来ました。教会長さんのお慈悲の元、何よりリーダーさんに支えられている事に気づくことが出来たのです。サンゲの気持ちで心を新たにした時、この大会は仏さまが私に必要があって与えてくださった御手配であると思いました。それからはリーダーさんに合掌の心で接し、感謝の手取りに変わっていき、おかげさまで感動の学生部大会を終えることができました。それを機にみ仏さま、開祖さまのみ教えを指針として生きる事を決意し、仕事も活動も自主的に行うようになりました。

平成3年青年部長を会長先生より拝命し、教えを学び、生活実践を大切に、夜間法座、教義の研鑽、青年部五百人の集い、青年部青梅練成、支部別対抗スポーツ大会など喜びと感謝の日々を過ごしました。ただ行き詰ることも多々あり、その時は久保木元教会長さんのお宅に時間を問わずお伺いし、気持ちを聞いて頂きました。上手くいけば驕慢になり、思うようにいかないと卑屈になる、その繰り返しをしている私の姿を諭して下さり、特に心に残ったお言葉は「教えも真理は誰にも変えることは出来ない、真理の基では誰もが平等」と教えて頂き、目先の現象に努力するのではなく、教えを求めることを一生のテーマとして生きる大切さを気付かせて頂きました。

平成12年にバブルがはじけて不況になり将来不安を感じ、30年間勤めた会社を妻に一言も相談せずに退職しました。自分としては断崖絶壁から飛び降りる覚悟でしたので、妻に話をして決心が揺らぐのが怖かったのです。妻は何も言わずに受け入れてくれました。大変な苦労をさせた妻には感謝の思いしかありません。まもなく軽自動車を購入し宅配の仕事をする事にしましたが、その生活はサラリーマンの時とは比較にならない程、苦しい状況であり、想像していた姿とは全く違う世界に入った感じでした。車から溢れるほどの荷物を積み、一日100件くらい、地図を見ながら一軒一軒届ける作業は慣れるまでは辛くて厳しい事でした。時には転職したことを悔やみました。教会参拝の日も減り、行事を断る時も多くなり、気持ちも萎え、出るのは戒名当番だけという状態でした。そのような環境でしたが、いままで以上に真剣にご供養を行い、開祖さま、会長先生のご著書、お言葉を心で聴くように努力し、それを心の支えとしたお陰様で、人や条件のせいにせず全てが自分の心に相応しく仏さまがはからっていることと受け止められ、仕事が出来ることへの感謝の想いを忘れないように心掛けることができました。

令和2年2月に始まった新型コロナウィルスの感染は、日本だけではなく世界に広がり、私たちにとっても大変つらい事です。感染症対策が行われて約一年経ちますが、今なお感染が広まっております。早期の終息を祈念いたします。昨年の一年は私にとっても辛い年でした。2月にすぐ上の姉を亡くし、9月には弟を亡くしました。前日に弟から電話が入り「兄貴もうだめだ」というのです。私は彼を元気づけ、近日中に食事に行く約束をしたのですが、翌日亡くなってしまいました。すぐ家に行き、冷たくなった弟の手、顔をさわり、変わり果てた姿に涙が止まりませんでした。言いようのない悲しみと寂しさが心に残ったことを忘れられません。姉と弟の死に直面し、生きていることは当たり前でなく神仏のはからいの中で生かされていることを改めて思わせて頂きました。

慈悲の手取りを頂いて70年、その歳月は平坦ではなかったのですが、いつも温かく慈愛の心で迎えてくれた諸先輩の方々、心の垢を取るために共に修行した仲間たち、ある時は優しく、ある時は厳しく、広い心で法華経の真髄を教えて下さった歴代の教会長さん方のお慈悲のお導きのお陰様で、自分の生まれた境遇に不満を持ち、周りの人に迷惑をかけていた私に、人間として生きる目的、使命を示してくださいました。いまでは開祖さま、会長先生との結縁をいただき、尊い法華経のみ教えに出会えた喜びでいっぱいです。そして何よりも私を理解し応援してくれている妻や子供には万感の思いです。

先ほど行われた感謝のご供養の物故者の中に、学生部の時に毎年行われた宿泊練成の食事の賄いをして頂いた吉種さんや小川さん、また教区青年幹部教育の時に食事の賄いをして頂いた今井さんや大山さんたちの無償の布施行、教会で疲れている私を見ては優しく声を掛けてくれた長谷川元支部長さん、教会の庭の手入れが生きがいだった父を支えて下さった野々村元支部長さんなど、いまは亡き方々に深く感謝いたします。

10月31日は発足70年の記念式典が行われます。コロナ禍の中で参加の形式は変わりますが、教会の礎を築いて下さった諸先輩方に敬意を表し、未来を拓く青少年へ希望を託し「感謝と継承」の機縁になる式典を目指します。そして物故者の皆さまにも安心して頂けるよう、サンガの皆さまと共に布教伝道に邁進していくことをお誓いし、お説法のお役に代えさせて頂きます。

皆さま、ありがとうございました。

平塚教会長さんごあいさつ

本日は8月1日船橋教会発足71周年を迎えさせて頂きました。10月31日に行われる周年記念式典に先立ちまして、先輩幹部さん、そして70年の歴史の中でお世話頂いた多くの信者さんの物故会員の皆さまに対して、感謝の言葉を添えた戒名1094体と、永代戒名の皆さんと三十三回忌をお迎えになった戒名450体を合わせて、1544体のお戒名を奉読させて頂きました。誠にありがとうございました。

コロナ禍の中ですので、皆さまには教会参拝を自粛して頂いておりますので、教会にお集まり頂いてご一緒に式典にご参加を頂くことが出来ませんでしたが、かつてない画期的なこととしてライブ配信をさせて頂き、皆さま方にはご家庭にて共に真心のご供養をさせて頂くことが出来まして、何ごとにも代えがたい大きな喜びを味あわせて頂き、感無量でございます。

会員さんから頂いた物故会員さんへの感謝の言葉として「あなたのお陰さまでご法が大好きになりました」とか「自分のことよりも私たちのことを親身に聞いて下さって頂いてありがたかった」とかの温かい言葉が一枚一枚添えられておりました。会の草創期には「貧・病・争」という思い通りにならない時代、多くの方々が悩みや苦しみを抱えている中で、何度も何度もご法のレールに乗せて頂いたおかげ様で、多くの方々が船橋教会の歴史の中で諸先輩さん方にお育て頂き、救われてきたことと思います。

本日は、船橋教会と共に歩まれてきた脇田さんよりお説法を頂きました。いつも真摯にお役にたずさわりながら、現証の一つ一つを仏さまの教えに照らし合わせ、大切にされている脇田さんのお姿を見させて頂きました。お説法の中で「教会はオアシス」であり、心やすらぐ場所であり、多くの方に育てられ、その時その時の教えを確認できる師との出会いがあり、成長させて頂けたところとしての教会の存在のお話しを頂きました。改めていまこの教会がお手配を頂いていることに感謝させて頂きました。

本日の物故会員さんの中に木村道場長さんがいらっしゃいます。今年4月に50回忌をお迎えになりました。周年の式典が開催される年に大本の教会長さんに感謝のお手配を頂けるという仏さまのはからいを頂いています。この時に船橋教会に身を置かせて頂けている因縁使命を思う時、伝統ある船橋教会の信者さん方は常に多くの人たちをお救いしたいとの思いで、徹底した布教と布施行を実践されてきました。歴代教会長さん方のお慈悲と、お育て頂いた先輩幹部さん、先輩信者さんの願いの表れではなかったかなと思わせて頂きました

開祖さま、会長先生の教えを消すことなく、その灯がいつまでも船橋の隅々の信者さん方お一人おひとりにお伝えするお役があるということを深く感じさせて頂いております。

脇田さんより今年、お姉さんと弟さんを亡くされたことを通して、いま生かされていることを実感されていることをお話し頂きました。

人の生は受くるは難く
やがて死すべきものの
いま生命(いのち)あるは有難し

と会長先生が常に法句経でお示し頂いています。親から頂いたこの命を精一杯、悔いなく使わせて頂くことを教えて頂きました。

今年は修繕工事のお手配を頂いた3ヵ月間、仏さまがお隠れになりました。仏さまを自分の心にご安置させて頂きながら、こんな時仏さまだったらどうするのだろうとか仏さまの願いに叶うように過ごさせて頂きました。自分の思い通りにならない時には自分の心を振り返り、慢心になっていないか、自己中心になっていないかと、省みることで本来のほとけ心が見えてきて、支えられていることに改めて気づかせて頂くことが出来ました。どんな時にも自分の心を拠りどころとして、法を拠りどころとしていくこと、常に法からずれないで、いつも心に仏さまを中心に置いて頂くことを大事にさせて頂きたいと思います。

10月に迎える周年式典まで、どれだけ感謝の行を形として表していけるかを、具体的な目標を定めて実践させて頂きたいと思います。

本日は、物故会員への真心の法要をさせて頂けたことに感謝をさせて頂き、頂いた仏さまのエネルギーを皆さまお一人おひとりが多くの方々に発信していくこととして、ごあいさつを終わらせて頂きます。

皆さまありがとうございました。