教会長メッセージ

2022年2月15日「涅槃会」

                    (※内容は教会長さんに許可を頂き、要約させて頂いております。)

どうぞよろしくお願いいたします。

本日は仏教三大会(降誕会、成道会、涅槃会)であります涅槃会です。

先ほどは本部の配信を頂きまして、光祥さまご導師のもとご供養させて頂きました。

皆さま方には各ご家庭で、涅槃会にご参加頂いていることと思います。

立春が過ぎてもなかなか温かくならず、今朝ほども車のフロントガラスがカチカチに凍っていました。気温を見たら0℃付近でした。

オミクロンの感染もなかなか収まりません。何処で感染するかわからないぐらいまん延しておりますので、くれぐれも感染防止に万全を期して頂きたいと思います。

今日は涅槃会、本来でしたら皆さんに参拝を頂きたいところでございますが、まだ集まれない状況の中、本部からの配信を見させて頂きましたが、本日はつくづく仏さまのおはからいというものを感じさせて頂きました。

お説法を頂きました清水主席さんですが、会長先生もおっしゃっておりましたが、とても真面目なお方でして、よく存じている方です。清水さんの奥さまとは台東教会の時に、一緒に第三課程を担当させて頂き、親しくさせて頂いております。いまは三島教会の教会長さんのお役を担われております。

説法を聞かせて頂きながら、めぐりあわせというか深いご縁とのつながりを感じさせて頂きました。

清水さんが子供のころ、おばあちゃんと一緒に道場へお参りした時に脇祖さまから頭を撫でて頂いて「ご法は毛穴からも入るからね」とおっしゃって頂いたお話を聞かせて頂き、私も幼少の頃、母に連れられて道場にお参りした時に同じように「ご法は毛穴からはいるのよ」と言われたのを覚えています。その通り心の奥の奥まで教えがしみ込んでいたことを感じさせて頂きます。あらためてお子さんがいる婦人部さん方にお伝えをさせて頂きたいと思います。

くしくも今日はおばあちゃんの祥月命日とお話をされていましたが、実は私の母も今日が祥月命日になります。お話しの一つひとつが重なり、自分自身がご法を頂いた大本にもう一度立ち返らせて頂けたと感じさせて頂きました

説法の中で心に残るお話がありました。教えの中ですべての人に仏性があることを学び、人生を振り返られた時に自分が願って生まれてきたと思えるようになり、今まではなんでこの家に生まれてきたのかと恨んだこともありましたが、この両親の元に生まれてきてありがたかったと気づかせて頂いたとのお話でした。

私も、なんで貧乏の家に生まれてきたのかと何回も思ったことがありました。でもそのお陰さまで物を大事にすることや、物を分け与えるという心が培われたことにつながっています。

佼成の2月号の会長先生のご法話の最初のくだりにも、お釈迦さまのご一生は布施行に徹した慈悲の表れで、お釈迦さまは一切衆生が幸せになっていくという願いの元で布教伝道に歩まれていたと教えて頂きました。まさに開祖さまのお姿と重なり、開祖さまのお心として「一切衆生を救う」ということが、暗闇に灯りをともすような人生に希望を与えてくださっているところにつながっております。

教えを基に育てて頂いた母を始め、たくさんの方が手をかけてくださったお陰様で、いま疑うこともなく、迷うこともなく教えを実践させて頂くことができる自分にならせて頂いていることを、清水さんの説法を通してあらためて感謝をさせて頂きます。

そして会長先生からご法話を頂戴し、涅槃の意味はお釈迦さまが亡くなったことと、もう一つは迷いがなくなった境地のことですと教えて頂きました。

地球がこれからどうなっていくのか、環境もそうですが、いまウクライナとロシアの中で戦争が起こりうるような、脅かされる状況にありますが、私たちが果たすべき役割として、普段のご供養の中で世界平和を祈らせて頂いていることと同時に、自分自身が生活の処し方を大事にすることをお示し頂きました。

宇宙とか果てしない拡がりの中での自分の存在がありますが、心を開く、養う、磨くということ、それが人として尊い存在なのだということをおっしゃって頂きました。人さまとご縁を頂いている時に、いまこの人はどんな気持ちで目の前にいてくれるんだろう、離れた気持ちではないのか、喜んでくださっているのかということを、その人の表情を見させて頂きながら、どのように自分が縁になっていくのか、日々の生活の中で自分自身を見つめさせて頂きながら振り返らせて頂くことが大事だと思わせて頂きました。

いつも何かにぶつかった時、教えに戻させて頂き、自灯明法灯明のごとくその時の自分の心はどうだったのかと振り返りをさせて頂くことを心がけたいと思います。

今日出かける前の主人との関わりの中で、

今朝、信者さんの手術のための祈願供養をさせて頂いたあとに、主人から自分の手術のためにしてくれたのと聞かれました。今日は主人の歯の手術の日だったことをうっかりしてしまいまして、瞬時に申し訳ない思いになりましたが、その場はそのまま出かけてしまいました。今日は帰ってお詫びをさせて頂きたいと思いますが、いつも身近な方へ心を傾けていくことが大切ですと言わせて頂いている私ですが、ときに実践が伴わなかったと思っております。

そのことを通して、一日一日の処し方として、いまこの場にいる時にどう温かい心を配らせて頂くかを実践することで、涅槃寂静の境地になれるということに気づかせて頂けたことが、ありがたかったと思わせて頂きます。

幼少の頃のことをたくさん思い出させて頂きました。子供の頃は姉とよく自然と親しんでいました。自然と人との環境、平和は調和と教えて頂いています。日々の生活の中で、ものを大切にすること、環境を汚さないことも私たちができる布施行と思わせて頂きます。

会長先生から頂いたお話しにありましたように、お釈迦さまはどんな時でも自分を依りどころとしてと、お説きくださいましたが、その依りどころとする自分は、人さまのことを考えられる仏性を軸とした自分と教えて頂きました。

また信仰を頂いている自分はどういう働きをさせて頂くのかということについて、真理を説いてくださったお釈迦さまに安心して頂けるような自分になるということ、つまり目の前の人に喜んで頂ける自分にならせて頂くということです。

皆さま方にはまだまだお集まり頂くことは出来ませんが、いま自分ができる事として、あの方はどうしているのだろうかと思いを馳せ、電話やお手紙など工夫をしながら心を寄せて、お釈迦さまの慈悲心と同じ慈悲心は誰の中にもあるのですから、そこを信じて菩薩行を歩ませて頂ければありがたいと思います。

今月も半ばになりましたが、お互い様共に精進をさせて頂きたいと思います。

本日は誠にありがとうございました。

合掌

平塚拝